
KATSUHIKO OKUNO
株式会社エスポワール 代表取締役
奥野 克彦
人と人のつながりを大切に、愚直に努力を続ける。
LIFE STORY
挑戦と再起の歩み
- 29〜35歳
会社員から起業家へ。成長と慢心を知る。
大手企業でプラント建設に携わり、アフリカ・アルジェリアに4年間駐在。仕事に大きなやりがいを感じていましたが、小売店経営の話をきっかけに退職し、29歳で起業しました。
バブル景気の追い風と優秀なスタッフに恵まれ、外販にも力を入れた結果、33歳でスタッフ4名ながら年商2億円を超えました。一方で経費は膨らみ、売上に安心して努力をスタッフ任せにする慢心も生まれました。
バブル崩壊後も「何とかなる」と考え、仕事よりサーフィンを優先する時期が続きます。売上が下がる中、銀行借り入れに頼るようになりました。
- 40〜44歳
1億円を超える借金から、仕事の軸を見直す。
借り入れは1億円を超え、返済のために両親からも880万円を借りる状態になりました。42歳で倒産と自己破産を覚悟して弁護士に相談し、原因は自分の甘い考えにあると厳しく指摘されたことで目が覚めます。銀行へ返済計画の変更をお願いし、必死に立て直しを始めました。
売上につながることなら何でも試しましたが、最後まで残ったスタッフにも給与を十分に支払えず、退職金の代わりに社用車を渡しました。会社に残ったのは、克彦と妻の二人だけでした。
44歳で税理士の園山先生と出会い、仕事ごとの売上と経費を見直した結果、フラ衣料の販売に将来性があると判明。他の仕事をすべてやめ、フラの仕事に専念する大きな決断をしました。当初はハワイで仕入れから通関、発送まで自ら行いましたが、調達コストが高く利益を出せない状況が続きました。
- 45〜50歳
残り100万円を手に、タイで再出発。
手元資金が100万円になった45歳のとき、何のつてもないままタイへ渡りました。現地での出会いとフラブームに支えられ、知人の家を間借りして活動拠点をつくります。バンコクで仕入れたTシャツにハワイ風のデザインを施し、日本で販売を始めました。
自ら撮影した商品写真をWordに貼り、深夜まで手作りのカタログを印刷して、30名のフラの先生方へ郵送。初めてFAXで注文が届いた瞬間、思わず「バンザイ」と叫んだ喜びは今も忘れられません。注文は少しずつ増え、タイでの生産によって利益が生まれ始めました。
46歳で2階建てのタウンハウスを購入し、事務所、住居、縫製工場を一体化。翌年には3階建ての物件も追加し、作業スペースを広げました。売上は3年間で4倍になり、48歳で1億円以上の借金を完済。50歳で再び年商2億円を超えました。
- 53〜55歳
震災と洪水。お客様の言葉に支えられる。
53歳のときに東日本大震災が発生。人生観を揺さぶられ、会社の利益を寄付しました。その一方で売上は減少し、翌年にはタイの大洪水に襲われます。
工場の水位は最後には約150センチまで上がり、ミシンも大半の在庫生地も失いました。震災に続く被災にすべてを投げ出したくなりましたが、フラの先生方から多くの励ましをいただきました。学生時代の友人たちも協力し、残った生地で作ったTシャツを1枚5,000円で数多く販売してくれました。
年が明けてもタイへ向かう気力を持てずにいたとき、親友の「一緒に行こうか」という一言で再び前を向くことができました。
- 58歳
工場火災を越え、もう一度ものづくりへ。
20年にわたり仕事をともにしたスクリーン工場の責任者が借金を残して突然いなくなり、債権者による染料の散布や放火によって、大切なスクリーン設備を失いました。震災、洪水、火災と続く困難の中でも、お客様と友人から届いた励ましが再起への力になりました。
仕事に集中して売上を回復させ、洪水の心配が少ない土地に、より広い4階建ての物件を購入。バンコクの縫製工場を再び充実させました。
- 59〜60歳
タイで培った経験を、新しい事業へ。
タイで長く仕事をしてきた経験から、大手小売企業より買い付け代行の依頼を受けました。航空貨物ではなく20フィートコンテナで、1,000個から1万個単位の商品を扱う、これまでとは規模の異なる仕事です。その後、さらに3社から同様の依頼をいただきました。
60歳で、チャトチャック市場に隣接するショッピングモール「MIXT CHATUCHAK」に、タイ初となるハワイアンショップを開店。タイの方々や観光客、在タイのフラダンサーに来店いただき、3カ月を過ぎるころには利益も出るようになりました。
- 61〜62歳
コロナ禍で立ち止まり、挑戦の意味を学ぶ。
新型コロナウイルス感染症の影響でバンコクの店舗を閉じ、イベント中止によりフラ衣装の仕事も激減しました。2年前から総勢70名のチームJAPANで準備していたメリーモナーク前夜祭への出演も中止となりました。
状況を変えようと鎌倉・小町通りでハワイアンカフェを開き、ハワイのアーティスト作品をモチーフにしたTシャツやパーカーも制作しました。しかし、カフェは2カ月で閉店し、商品は多くの在庫を抱えることに。友人の「こんな時期は、何もしないでじっとしているのが一番よい」という言葉が身に染みました。
- 64歳〜現在
支えてくれた人の幸せに、仕事で貢献する。
数々の困難から立ち上がれたのは、お客様、スタッフ、友人たちの励ましがあったからだと改めて振り返り、今できることに全力で取り組むと決意しました。
65歳で「Luluoli」ブランドを立ち上げ、日本全国のハワイ催事を巡る多忙な日々を過ごしました。韓国のフラ講師・チェチェ先生との出会いから、韓国で「日韓フラ」のイベントも開始。66歳になると百貨店からイベント企画の依頼をいただくようになり、日韓フラの規模も徐々に広がりました。
現在は、自分のためだけではなく、周囲の人々の幸せに貢献できる人でありたいと願い、日々努力を続けています。2027年には、チームJAPANとしてメリーモナーク前夜祭へ出演することが決定しています。
PEOPLE
文化と価値を、互いに尊重する。
便利さや速さだけを追うのではなく、人とのつながり、異なる文化や価値、自然との調和を大切にしたい。それが、これからのものづくりに必要だと考えています。
日本とタイ、それぞれの良さを生かしながら、関わる人が誇りを持てる仕事を続けていきます。

CRAFT
残せるものを、一つずつ。
一度きりの人生で、何を残せるのか。私にできるのは、目の前の仕事に誠実に向き合い、長く愛されるものをつくり続けることです。
これからも、愚直に努力し、お客様とスタッフとともに歩んでまいります。

「もっと人と人のつながりを大切にすること。色々な文化や価値を共有し、尊重すること。」奥野 克彦私たちについて
